2016年11月9日 星期三

は足り甘いことを


遊ばせ方を思い出してまた、くだらないことや書きたいという気持ちはある。
でもそこには「年甲斐もなく」が着いてきてしまう。

つまり、誰より自分がそう思っちゃってるから「こんなこと考えたら(書いたら)引かれるかも」と怖くなるんだろなあ。
年を重ねた人らしいことを書かなければとか恥かきたくないとか、体裁を願景村 退費気にしているのね、これでも。

格好つけてないで、ここからもう一歩先に行けたら、もっと楽しくなるのかもしれない。

もっと自由でいいんだぞー!時間というのは、欲しかった時にはなくて、ある時には使い切れない。

やりたいことがあるからこそ、時間なくなり、特に夢中になれることがないと、時間は余ってしまう。そして今、余っている。
もったいない。ああ、もったいない。
10年、20年前、もっともっとと欲しかったひとりの自由な時間が、今ここにあるのに、あの頃したかったことが、今はそれほどしたくない。
なんならもう、21時にはお風呂に入って寝てしまいたいけど、さすがにそういうわけにもいかない。



と、書いていてふと怖くなったのだけど、10年後には「早く寝たい時には寝られなくて、いつでも寝ら願景村 邪教れるってなったら寝られない」みたいなことになるのかしら。



今日のこと。同じ会に参加していた人が辞めてしまったこと、ギターの先生がしてくれた話について思ったこと、読み終わった『夏に凍える舟』のことなど、どれについて書いてもいいのに、どれもどこかに書きにくい部分がある。自分の線引きがシビアすぎる(自意識過剰である)とたびたび思うのだけど、染み付いてしまったルールは変えられない。その辺り、同じ頃にネット始めた人には何となく分かると思うのだけど、なんというか、……まあ、いいや。



そこをなんとかして、うまく書くのが楽しかったんだけど、その努力が、なんだかもう面倒くさくなってて、書かない方を探索四十選んでしまうのだなあ。 翌日の天気予報を見て、ああ明日は曇のち雨なのか、まあ梅雨だから仕方ないなと観念して折りたたみ傘を用意して出かけるのに、このところ毎度、傘は日傘としてしか利用していない。

雨だと思ったのに晴れ!

出かけるたびにそんな感じ。

本当なら喜ぶべきところだけど、日差しに負けまくってバテバテだ。


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