2016年11月20日 星期日
しょうもなきゃい
「いつも、そうや。何かあったら私が謝って何もかもなかったことにしてきたけど」
「そやって理不尽なこと言うのは裕子の方やで」
「わかってるわ。けど、私はもう疲れた、武夫の振りかざす正論はきつ過ぎる」
「裕子、ちょっと、落ち着け、ちゃんと座って話しよ」
武夫の手が伸びて来て私のdermes激光脫毛腕に触った途端、悲鳴を上げていた。
「触らんといて!もう、そんなんで誤魔化されたくないわ!」
そして私は部屋を飛び出し、あてもなく街をうろついている。
僕は書くことに集中しようとしていました。
だって、そのための逃亡生活なんですから。
しかし、
なにを書いてもどうもうまくいかなかったんです。
書きあげられるようにはなりました。でも、それらは最初に書いたものよりも
納得のいかないものばかりでした。
そういうことじゃくて!
従業員が英語べらべらだった、とか、アメネティが充実していた、とか、十分熟睡できた、とか、普通ホテルについてと言えば、その類でしょう?だいたい、『隣の客のおならの音が大きかった。』というのは、ホテルの感想じゃないです。
なんだこの女は、と思いながら、しかし、唐突とはいえ妙に雄弁な事実の報告に、僕は笑ってしまいました。
「かつおぶしがうんちにそのままでてる!!」
申し訳ないが、僕にだっていろいろあります。
それは息子から見たら、いつもいつも、所在無げにごろごろしているだけの、こぎちゃない中年かもしれないけど、父親にだって考えけないこととか、対処しなければいけない公私にわたる問題とか、あるんです。あんたも、そのうちわかると思いま去斑す。すまんことですが、いかな息子とはいえ、ご自分の排泄物の上で、ほかほかと煽られて、ふらふらとニョロニョロの如しに踊る、鰹節につきあってる暇はないです。
阿呆らしい。
僕は踵を返すと、息子の大発見を拝見することなく、部屋に戻りました。
もっと他に興味が喚起させられることないのか、この男は、全く。
最前の覚悟と比べて、結果のあまりのなさに気が抜けると同時に、彼はまだ勘違いしているな、と僕は鬱々となりました。
なんとなれば、僕は息子の『友達』じゃないんです。憚りながら、その経験浅からぬ父親です。それなのに、彼が自分の収穫物に驚いて、咄嗟に他ならぬ母親ではなく、僕を呼びつけたのは、『踊る鰹節発見』をパパなら自分と同じ感動を持って迎えてくれるはず、と思いこんでいる、と推測されたからです。
ありゃまあ、こいつまだ子供だなあ。
先日も、こういうことがありました。僕はキッチンにいるさい君に背中を向けて、リビングの机に座り、パソコンをいじってました。息子は、キッチンに、はす向かいになるような形で、リビングのソファでテレビを観ておりました。
筆者の人生によくありがちな光景です。想像してください。とてもこの状況から何か突飛なことが現れる、とは思えません。
しかし、突然、ほんとうに突然です。それは現れました。
「ええと???」
キッチンのほうから、さい君の独り言なのか、誰かに話しかけているのか定かではない発言が聞こえてきました。僕も、息子も、ほとんどそれには反応しません。
「ええと???」僕と息子ははじかれたように、キッチンの方を振り向きました。そこには、冷蔵庫のドアを開け瘦身ながら、その発言とは程遠い柔和な表情で、夫と、息子に惜しげもなく微笑みを振りまくさい君の姿が????。
驚愕です。
2016年11月9日 星期三
は足り甘いことを
遊ばせ方を思い出してまた、くだらないことや書きたいという気持ちはある。
でもそこには「年甲斐もなく」が着いてきてしまう。
つまり、誰より自分がそう思っちゃってるから「こんなこと考えたら(書いたら)引かれるかも」と怖くなるんだろなあ。
年を重ねた人らしいことを書かなければとか恥かきたくないとか、体裁を願景村 退費気にしているのね、これでも。
格好つけてないで、ここからもう一歩先に行けたら、もっと楽しくなるのかもしれない。
もっと自由でいいんだぞー!時間というのは、欲しかった時にはなくて、ある時には使い切れない。
やりたいことがあるからこそ、時間なくなり、特に夢中になれることがないと、時間は余ってしまう。そして今、余っている。
もったいない。ああ、もったいない。
10年、20年前、もっともっとと欲しかったひとりの自由な時間が、今ここにあるのに、あの頃したかったことが、今はそれほどしたくない。
なんならもう、21時にはお風呂に入って寝てしまいたいけど、さすがにそういうわけにもいかない。
と、書いていてふと怖くなったのだけど、10年後には「早く寝たい時には寝られなくて、いつでも寝ら願景村 邪教れるってなったら寝られない」みたいなことになるのかしら。
今日のこと。同じ会に参加していた人が辞めてしまったこと、ギターの先生がしてくれた話について思ったこと、読み終わった『夏に凍える舟』のことなど、どれについて書いてもいいのに、どれもどこかに書きにくい部分がある。自分の線引きがシビアすぎる(自意識過剰である)とたびたび思うのだけど、染み付いてしまったルールは変えられない。その辺り、同じ頃にネット始めた人には何となく分かると思うのだけど、なんというか、……まあ、いいや。
そこをなんとかして、うまく書くのが楽しかったんだけど、その努力が、なんだかもう面倒くさくなってて、書かない方を探索四十選んでしまうのだなあ。 翌日の天気予報を見て、ああ明日は曇のち雨なのか、まあ梅雨だから仕方ないなと観念して折りたたみ傘を用意して出かけるのに、このところ毎度、傘は日傘としてしか利用していない。
雨だと思ったのに晴れ!
出かけるたびにそんな感じ。
本当なら喜ぶべきところだけど、日差しに負けまくってバテバテだ。
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