2017年5月17日 星期三

もよ若さまは御


「はい。相馬さまの分も、たくさんありますから御心配には及びません。それと、こちらは草鞋の替えと、糒(干した米)と干菓子、金平糖です。道中でお召し上がりください。」
「忝い……思わぬところで世話になる。」
「何の。散々お手伝いしていただいたじゃありませんか。困ったときはお互い様です。お武家さまと相撲を取った自慢話ができHKUE 傳銷るのは、うちの子だけですよ。御恩返しが出来るとは、思ってもみませんでした。このようにうれしいことはございません。」
「清助さんは、いつ名主に?」
「父が亡くなりましたので、跡をついで5年になります。百姓は戦があるたび、泣かされてきましたから、やっと戦が終わって安堵しております。」
「なぜっ……?」

思いがけない清助の言葉に、思わず一衛は怒気をはらませて口走ってしまった。

「会津が負けたのに……!清助さんは会津が負けたのが嬉しいのですか。皆、命がけで戦ったというのに。」
「一衛。お止め。」
「でも、直さま。」

一衛には納得がゆかなかった。
誰もが死に物狂いで戦ったというのに、清助は戦が終わって安堵しているという。

「お気に障ったら、申し訳ありません。でもねぇ、お言葉を返すようですが、人にはそれぞれ立場があるのHKUE 傳銷ですよ、お小さい若さま。清助は父の跡目を継いで名主になりましたが、名主というのがこれほど大変だとは思いりませんでした。徳川宗家の言葉ではありませんが、百姓は生かさず殺さず。まことに戦ごとに泣くのは百姓です。」
「一衛には……よくわかりません……」
「わからなくてもいいのですよ。生きてゆくのは、お武家さまも百姓も大変なんですから。」穏やかに言葉を選びながら、清助は一衛に話をした。

「ただね、どれほど田畑が荒らされても、飢饉になっても、百姓はどんな事をしても年貢を納めなければなりません。会津の殿さまが天子さまをお守りすると決めたとき、どれほどのお金がかかり、百姓が高い年貢に泣いたか、存じないでしょう?お武家さまは命がけで会津を守るとおっしゃいますが、百姓にとっては誰が殿さまでもあまり違いはありません。年貢が多いか少ないかだけです。戦になると男手はとられ、田畑は荒らされ、できた作物は殆ど差し出HKUE 傳銷すようにと言われるのです。」
「……」

2017年5月9日 星期二

裁くこ酌み交


「さて、勅命ならば何を置いても、会津は国許へ帰らねばならぬが……。いささか中身に不審の儀がござるのでお尋ねしたい。使者殿。これは、まことに帝のお言葉でござろうか?」
「さよう。勅命にあらせられる。」
「これが、勅命といわれるか……はて?昨夜、殿は次回の参内の日を帝に御伝え申した。楽しみにしておられたお上が、舌の根も轉按套現乾かぬうちに、いきなり全軍を率いて会津に帰れとは……この内容は、いささか腑に落ちませぬな。納得がいかぬゆえ、夜が明けたら殿に至急参内してご機嫌伺いをするように勧めて参ろう。それでよろしいか。」
「それは……困る……」
「何を困ることが有る?真実を明らかにするだけのことでござる。」
「い……や。帝は確か……午前中、御気分がすぐれぬと言って居られたから、お出向きになられても、お目に掛かれぬかもしれぬ……会津中将殿に無駄にご足労をお掛けしてはと思ったまでの事。」
「ほう。では直の事、まずはお見舞いに参上されるよう御伝えせねば。誰か、おるか。見舞いの品物を揃えねばならぬ。」
「……それは……」

ことごとく逃げ道を潰された使者は、顔色をなくしていた。

「実は……これは……帝直々のお言葉ではない。近くに仕える公達が帝がこうおっしゃられた故、会津公にそう伝えよと言ったもので……麿も……まことの所は、帝の御真意ではないのではないかと思う……。」

公家の額に、どっと脂汗が滲んでいた。

「解せませぬな。帝の勅命と言って届けられたものが、実は帝のものではないと言われるのか?では、これを書いた方はどなたですかな?」
「う……麿はそこまでは知らぬ。」
「近頃の朝廷では、帝のお言葉を、このように曲げて御伝えになられるのか?」
「いや……その……麿は、ただの使いゆえ……」
「しからば、これはどなたかが名をかたった偽勅。帝とは無縁のものでござるな!?」

激しい剣幕で詰め寄られ、しどろもどろになった公家の言葉に、「偽勅」を確信した会津藩は、これ以上の挙を捨てておけず行動に移す。
既に、会津では長州藩と繋がった公家の名もつかんでいた。

「やったな、直正。」
「はい。此度の件で、殿の名声が広く天下にとどろきました。長州の傍若無人ぶりを思えば、胸のすく思いがいたします。大砲を向けられた時には、生きた心地がいたしませんでしたが殿にもお怪我もなく何よりでした。」
「はは……直正は以前に殿はいささかお優しいゆえ、長州などに舐められるのだとか申して居ったな?今もその気持ちは変わらぬか?」
「これは……覚えておいででしたか。しかし、田中さま。言葉が過ぎましたが、殿が外見に似合わず激しいところがお有りなのは、皆知っております。いつ本気でお立ちになるか、待っていたまでの事。」
「うん。実はわしもそう思って居った。だが、だからこそ一度腹を決めた殿ほど頼もしい方はおらぬ。」
「われらが御主君でありますれば。」
「鼻が高いか?」
「はい。馬上の殿のお姿には、胸が高鳴りましてございます。」
「そうだのう。まことに凛々しい武者振りであった。だが、そちも昨夜から一睡もしておらぬのだろう。戻って戦支度を解け。まあ、高揚したその顔ではゆっくり休めまいがな。」
「田中さまこそ、ご無理はなさいますな。」

はは……と田中は声を上げた。

「こやつめ。わしを年より扱いしおったな?」
「滅相もございません。ご重役の方々も、同じように無理を重ねて参ったのです。会津の要に何かあっては我らが途方にくれまする。」

決して追従や媚などではないことは、普段の直正を知っていればわかる。
本心から年配者の心配をしていた。

「長い一日であったな。そちも配下に酒をふるまってやってくれ。」
「そういたします。」

無頼漢の取締りをしていても、他藩の藩士をとが出来ず、温い町方に預けるしかなく悔しい思いをしてきた藩士たちも、溜飲を下げた。
どこまでも「寛仁」の心を持ち、攘夷派とも分かり合おうとした容保が、ついに腰を上げ薩摩と協力をし京都守護職としての名声を世間に轟かせた。
武骨な武士たちが、ささやかに酒をわし笑顔を浮かべた。
国許にも直ぐに快挙を知らせる早飛脚が送られた。
後に無情に賊軍と謗りを受ける会津は、この時、紛れもない官軍であった。

容保が京都守護職として奮闘しているその間、会津藩では全土が疲弊していた。
働き盛りの男たちを根こそぎ京へ派遣することで、労働力をそがれ、出生率も下がっている。